都市情報

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  • ライデン市

ライデン市には歴史があります。15世紀の終わり、ライデンはホランド伯領でもっとも大きな町でした。これはライデンには国際的な毛織物産業があったからでした。16世紀からは、宗教革命の煽りを受け、新教が弾圧され、経済的にも打撃を受け、ライデンは1572年オランダの独立同盟に加盟、スペイン軍に包囲されます。

  • 17世紀には、ライデンはアムステルダムに次ぐ大きな町でした。ペストなどの疫病にも見舞われますが、それでも人口は増え続け、1611年、1644年、1659年の三回、町を拡張しています。1670年頃には人口増加がピークに達し、町には6万人が住んでいました。

    ライデン大学は、オランダでもっとも古い大学で、1575年に設立されました。一説には、大学はスペイン軍に包囲されながらも、解放されるまで屈しなかったライデン市民に報酬として与えられたとあります。ライデン大学は、その思想的に自由な校風から、すぐにヨーロッパでも有数の重要な大学に成長しました。

    20世紀の最後の30年で、ライデンは大きな変化を遂げました。1960年代のライデンと言えば、大学はあるものの、貧しい工場都市でした。80年代はじめには、工場も消え失せ、多数の失業者を出しました。しかし、ライデンは新しい雇用機会を作り出します。とくに重要なのが、バイオ・サイエンスパークとレーヴェンフックのハイテク事業の台頭です。現在、ライデンの失業率は低く、市民の学歴はオランダでもっとも高い部類に入ります。

    歴史ある町の中心は再整備され、市民が寛ぎやすいようになっています。また観光客も増え、文化財や博物館、古い小路、運河、堀の魅力を発見しては、ライデンの町を楽しんでいます。

    人口:12万1754人(2015年)
    市長:アンリ・レンフェリンク

  • 長崎市

長崎市は、長崎湾に面し、およそ45万人の人々が住んでいます。 長崎は古くから港町でした。長崎湾には、人工の出島が作られ、そこでは当初はポルトガル人が、後にはオランダ人が貿易を行っていました。徳川将軍は、1614年キリスト教徒を国外追放しますが、オランダ人には貿易以外に意図することがなかったこと、さらには、後にキリスト教徒迫害にも一役買うような功から、出島に残ることを許されました。1641年から1853年まで、オランダの商館は、ヨーロッパで唯一の日本との交流の場でした。

広島に原爆が投下されてから三日後の1945年8月9日、長崎にも原爆が投下されました。この原爆は、本来は小倉の町を破壊するためのものでしたが、当日小倉上空には雲がかかり、原爆は長崎の工業地帯を破壊するために使われることになりました。原爆は浦上上空469メートルの地点で炸裂し、15万人の死傷者を出しました。その後も放射線を浴びたことによる被害が多くの人を苦しめました。この原爆投下をもって、日本は降伏しました。戦後、長崎は再興を果たしました。
現在の長崎市は、活気ある町です。重要な産業は造船業、観光業、医療、そして情報通信技術です。

人口:44万2325人(2010)
市長:田上富久

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